バッドフィンガー物語 第5回

バッドフィンガー物語第5回

写真は、1965(昭和40)年のアイヴィーズ。左よりダイ・ジェイキンス、ピート・ハム、マイク・ギビンズ、ロン・グリフィス 
現時点のメンバー:バンド名『The Iveys(アイヴィーズ)』
ピート・ハム(ギター)
マイク・ギビンズ(ドラム)新加入
ロン・グリフィス(ベース)
ダイ・ジェンキンス(ギター)
アルウィン・ジェンキンス(マネージャ兼ローディー)
ロン・グリフィス(ベース)はマイク・ギビンズとの出会いをこう語ります。
「僕が戸口に現れた時、賢そうな少年だとマイクは思ったそうだよ。僕がスウォンジー・ユニバーシティのスカーフをしていたから。
マイクは自動車の修理工みたいだった。自慢気な赤毛の大きなセンターロールリーゼントだったよ。「テディ・ボーイ(Teddy Boy)」※1の髪型さ。」
※1 50年代に流行ったロンドンファッションで、細身のロングジャケット、リーゼントなどが特徴
新加入したドラマーの「マイケル・ジョージ・ギビンズ(Michael George Gibbins)」は、1949(昭和24)年3月12日にスウォンジーで生まれました。
大家族で、6人の姉妹がいましたが、やんちゃで何でもかんでも殴りつけるため、14歳の時に父親がドラムセットを買い与えました。
一年間軍隊式の訓練を受けた後、初めてのグループとなる『ザ・プラネット(The Planet)』に参加しました。その後、マイクが懐かしんで思い出すところの、『クラブ・フォー(Club Four)」』もしくは『クラブ・フット(Club Foot)』というグループへ移り、
最終的には『ザ・ミスフィッツ(The Misfits)』へと移りました。
当時16歳になりたてのマイク・ギビンズは、さらに高みへとステップアップしたくてたまりませんでした。
ダイ・ジェイキンス(当時のアイヴィーズのギター)は、「アイヴィーズ」とマイクのオーディションを覚えています。
「マイクはテリー・グリーソンよりも激しいドラマーだったし、より表現力があった。モダン音楽シーンのドライビングビートがあったよ!」
アルウィン・ジェンキンス(当時のマネージャー兼ローディー)はこう加えます。
「彼は本当に活気に満ちていて、それでバンドのレベル・士気が高まったんだ。」
マイク・ギビンズは歓迎され、すぐに進展が見られました。1965(昭和40)年5月1日、雑誌『Beaterama』に、アイヴィーズに関してのコラムの掲載が決まったのです。
(コラムより↓)
「スウォンジーの【アイヴィーズ(The Iveys)】は、数ヶ月前にこの音楽シーンに現れた時には、ヘッドラインに登場しなかった。
しかし今、彼らの名は爽やかでバランスの良いサウンドを意味し、それにより多くのファンと地元のプロモーターからの高評価を得ている。
数ある地元のバンドの中での【アイヴィーズ】の強みは、素晴らしい器材も持っていることだ。
アンプと拡声装置は大切に扱われ、完璧なパフォーマンスを維持するために定期的に点検されている。
もうひとつの強みは、どこででも演奏できるということだ。他の多くのグループにはない音響制御があるなか、
彼らは、大きなダンスホールのステージでも、小さなプライベート行事におけるステージでも、彼らは喜んで演奏できる。
最近有名になる機会を得た全てのグループの中で、【アイヴィーズ】はスタートから先行していた。
良く手入れされた見た目とバランスの良いサウンド、という彼らの信条に付いて行けば、彼らのサクセスストーリーを見ることができるだろう。」
コラム終り↑
ピート・ハムのバンド『アイヴィーズ』は、明らかにステップアップしました。「Pylot Promotions」と、そして最終的には「Jayvee Entertainments」と契約したのです。
そのことで、
『ムーディー・ブルース(The Moody Blues)』、『ヤードバーズ(The Yardbirds)』、『スペンサー・デイヴィス・グループ(The Spencer Davis Group)』、『ルル・アンド・ルベース(Lulu and the Luvvers)』、『P.J.プロビー(P.J.Proby)』など、数多くのトップアーティストがこの地域でツアーをするとき、
アイヴィーズはオープニングで演奏するチャンスを得ました。
『ザ・フー』は特に友好的で、「アイヴィーズ」に巨大な器材を使わせてくれました。
しかし、キース・ムーン(Keith Moon)については、「理解するのがとても難しかったよ。」とダイ・ジェイキンスが振り返ります。
理解できることといえば、ムーニー(Moonie)=キース・ムーンの愛称? が『ジェッツ』のドラマーのボー・アダムス(Beau Adams)を見ていて驚いていたことくらいです。
彼(ボー・アダムス)は、誰もに大きな感銘を与えました。『Beaterama』のコラムニスト、コン・アトキンはこう振り返ります。
「キース・ムーンはボー・アダムスを見た時、頭を撃ち抜かれたんだ!
ボーはイギリスで最初に、ベースドラムから皮を引きはがし、シンバルを上下逆にしたドラマーだった。そしてパワフルだった!」
後に、『ロックパイル(Rockpile)』や「『イアー・ストレイツ(Dire Straits)』のドラマーとして称賛される、テリー・ウィリアムズは賛成して言います。
「ボー・アダムスは、僕や、他にも多くの人々に巨大なインスピレーションを与えたよ。彼は驚異的だった。」
しかし、アダムスのキャリアは早々に終わりを迎えます。
1960年代中頃にロックンロールを完全に辞めて、オーストラリアへ移ってしまったのです。
「本当にもったいない。」
ウィリアムズは今もこう言います。
南ウェールズの多くの才能たちは停滞していました。レコード会社がなく、企業家も少なく、音楽シーンを広げる勢いもほとんどなかったからです。
アトキン・ジェイキンス(アイヴィーズのマネージャー兼ローディー)はこう言います。
「僕らには、ブライアン・エプスタイン(Brian Epsteins)が数人必要だった。ミュージシャンたちの多くは、ステップアップするための自信がなかった。何人かは挑戦したけどね。」
ウェールズのミュージシャンたちは皆セミプロでした。
給料がとても安いので、フルタイムにはなれなかったのです。しかし地元の企業家が唯一、前例を作りました。
トニー・ウィン・デイヴィッド(Tony Wyn-David)という人物が資金を提供し、1966年に自身の会社『パイロット・レコーズ(Pylot Records)』から「バイスタンダーズ」のレコードをリリースしたのです。
両B面の“That’s The End”、“This Time”です。
1960年代中頃までには、ロンドン、マンチェスター(Manchester)、リバプール(Liverpool)や、イギリスの他の地方のバンドの多くは「自分たちで曲を作る」ようになっていましたが、
スウォンジー(ウェールズの地方都市)のミュージシャンたちは引き続き、B面曲やアルバム曲、昔の珍しい曲をライブでカバーすることを誇りにしていました。
後に「マン(The MAN)」のメンバーとなるマーティン・エースはこう振り返ります。
「通りすがる人たちはみんな、僕らの知識に驚いていたよ。特にアメリカのアーティストについてはね。」
驚くことに、自分たちの音楽的なインスピレーションを【自分たち自身の独特な視点に置き換える】ということを試したことのあるバンドは、
スウォンジー地域ではほとんどいませんでした。多くは、単純に楽しんで演奏することに焦点を置いていたからです。
しかしマーティン・エースという人物は、「アイヴィーズ」に違うものを見出していました。
「彼らはいつも同じ服を着ていたし、ドラッグ(麻薬)をやりたがらなかった。はっきりとしたプロ意識(キャリア志向)に見えたよ。」
当時ピート・ハムのガールフレンドだったメイベリン(Maybellene)も賛同して、こう言います。
「彼らにとって、音楽が全てだったの。特にピーター(ピート・ハム)にとってはね。仲間はずれにされてるみたいに感じて、私はいつも怒ってたわ。
ある夜、激しい口論になって、最後に【もう終わりよ!二度とあなたと口をきかない!】って言ったの。
その夜遅く、彼のギグに行って、演奏中に彼の顔に【ピッグテイル(pig tail)】※2 を投げてやろうって決めたの。だって、ピートのニックネームはピギー(Piggy:子豚)で、私たちはみんなそう呼んでいたから。
それで私はそれを彼の顔に投げたの。
ピート・ハムはしゃがんでそれを拾って、ピック代わりにして演奏を続けたのよ!何にも効いてなかった。
彼ってすごいのんびり屋さんだったの。次の夜には、また一緒にいたわ。(笑)」
※2【ピッグテイル(pig tail)】=紙巻きタバコあるいは、接続用電気導線 
コンラッド・アトキンは、メイベリンがいうように本名以外のニックネームを使うことは、ウェールズの音楽シーンでもかなり一般的だったといいます。
「ウェールズの多くの人たちがニックネームを持っていたよ。
同じ名字の人が本当にたくさんいたからね。
ウィリアムズ、エヴァンズ、ジェンキンス、といった。『ジェッツ』のトニー・ホリスはその様子からプラム(Plum)と呼ばれていたし、『アイズ・オブ・ブルー』のジョン・ウェザーズは、アニメに出てくるべっ甲縁眼鏡の海賊にちなんで、パグウォッシュ(Pugwash)と言われていたよ。
下品なブギウギピアノを演奏する、スピュー(Spew:つばなどを吐く、の意)と呼ばれ続ける物静かな銀行員もいた。
マーティン・エースはザ・ベース(The Bass)だったし。他にももっとたくさんいたよ。」
ウェールズの音楽シーンには、束縛のない、密接な友情、という特徴もありました。
『バイスタンダーズ』のギタリスト、クライヴ・ジョン(Clive John)はこう言います。
「みんながお互いのギグ(コンサート)を見あって、それぞれ励ましあっていたよ。
人を出し抜こうとするやつはほとんどいなかったよ。もし誰かのギターに何かあったら、誰かが貸した。もしバンドのメンバーの体調が悪くても、代役を見つけるのはとても簡単だった。
【僕らはみんなここにいる、僕らはみんなバンドマンで、僕らはみんなロッカーだ】という姿勢だったよ。」
ある夜、「アイヴィーズ」はこの結束の恩恵を受けることになります。
ライブハウス『チボリ』での演奏を終えようとしていた時、思いもよらないことでしたが、ケンカに巻き込まれたのです。
終わりが近づいた時、誰かがステージに飛び乗って、ダイ・ジェイキンス(ギター)の方へ走りはじめました。
アルウィン・ジェンキンスはこう振り返ります。
「ダイがそいつと掴み合いを始めたから、僕が飛び込んだんだ。
つづく…