バッドフィンガー物語 第2回

バッドフィンガー物語 第2回

現時点のメンバー:
ピート・ハム(ギター)
ロイ・アンダーソン(ドラム)
ジョン・ホレル(ベース)
デイヴット・フランクリン(ギター)

ロイ・アンダーソン(ドラム担当)「それを聞いて、僕の頭のなかで一気に警報器(アラーム)が鳴りはじめたんだ。

ひとつ目に、僕らはまだそんなに上手じゃなかったし、そしてふたつ目に、ブライアンホールは、ケンカが起きることで悪名高かったからだ。」

でもピーター(ピート・ハム)は、(バンドを)やるべきなんだと僕を説得して、そして僕らはやったんだ。結果は、最悪だったよ。僕らは演奏をベースなしで、ボーカルもなしでスタートさせた。

そして1曲目の中盤で、ピート・ハムのストラップが壊れ、ギターをかかえながら演奏せざるを得なくなった。

アンプ(スピーカー)から、ありとあらゆる騒音が流れはじめ、客たちがザワザワするのがわかった。半分も終わらないうちに、マネージャーがやって来てこう言ったんだ。

『ねえ、君たちの安全のために、今夜の支払いをさせてくれないか。そしておうちへ帰るんだ。』」

彼らはがっかりはしたが、決意を固くし、この「駆け出しの若者たち」は活動を続けました。ピート・ハムとメンバーは自分達を「パンサーズ(The Panthers)」と名付け、ボーカルを加え、最終的にはベースとしてジョン・ホレル(John Horrel)が加入しました。

ブライアン・コッフィが移動のためのクルーバス(バン)を用意し、できるところならどこででも演奏ができるようになり「地元のユースクラブ」やパビリオン、地元の精神病院であるクブンコーエド(Cefncoed)でさえもバンで移動して、演奏できるようになりました。

ピート・ハムとロイ・アンダーソン(当時、ドラムスを担当)は、音楽についてたくさん語り合いました。バンドは一週間、南ウェールズのガワー海岸(Gower Coast)のポート・アイノン(Port Eynon)に、トレーラーでの休暇に出ることに決めましたが、連日の大雨に見舞われ「太陽とビーチを楽しもうという計画」は台無しになってしまいました。

メンバーは隣り合って座り、ピート・ハムのギターとラジオと少しの会話で、時間を過ごしていました。すると突然、ビートルズのライブコンサートがラジオから流れはじめたのです。

ロイ・アンダーソン「僕たちはただ、楽しんで聴いていた。そしていつも通り、信じられないような絶叫が聞こえた。その後、ピーター(ピート・ハム)が僕の方を向いて言ったことをよく覚えている。

『今の絶叫を聞いて震えたよ!自分の将来のことを考えさせられた。』」

1950年代の後半から1960年代の初めにかけて、スウォンジー(ウェールズ国の都市)では才能あるジャズ・アンド・ブルースのグループたちが急成長を見せていました。

スウォンジー生まれのスペンサー・デイヴィス(Spencer Davis)※1はこう語っています。

※1 =のちに英国を代表するロック・バンド『スペンサー・デイヴィス・グループ』を結成した。

「グランモール・ジャズクラブ(Glanmor Jazz Club)といったようなパブで、ジョン・ハム(ピートのお兄さん)と彼のバンドのようなジャズミュージシャンたちが演奏していたんだ。ジャズ・アンド・ブルースだけでなく、ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)の曲のように、ポップカントリーミュージックもたくさん演奏されていたよ。

僕はギターソロをたくさん演奏して、ハーモニカも少しやった。僕らは『ビートニック(ライブハウス?)』で、みんなでつるんでたんだ。」

しかし、兄ジョン・ハムが選ぶ演奏ジャンルは、ピートの音楽趣味とは主に違っていたのです。

兄ジョンはこう語ります。

「いや、ピート・ハムはジャズミュージシャンじゃなかったよ。だけど、僕は彼が道を切り開くのを手伝ったんだ。それまで、家族の中に本当の意味でのミュージシャンはいなかったからね。ピートはどんどん、ロック&ポップスに夢中になっていったよ!」

1960年代初期に、新しいロックンロールとリズム・アンド・ブルースが大きくヒットすると、ウェールズでのジャズは一瞬で影を潜めてしまいました。

ジャズミュージシャンたちはこの新参者のことを、バカにして「三弦野郎(スリー・コード・チャーリーズ)」と呼びましたが、兄ジョン・ハムはピートの誠意を尊重しました。

タウンヒルにある、「ザ・タワー(The Tower)」と呼ばれていたビンゴホールでは、1962(昭和37)年に、こういったロック志向のバンドが出演するようになりました。ピート・ハムと友人たちは、他のグループの演奏を聴きに行くようになり、とても感銘を受けました。

ロイ・アンダーソン「僕とピートはステージの真ん前に陣取って、一晩中見続けた。僕らのお気に入りは【ファイヤーフライズ(Fireflies)】だった。見た目も演奏も、プロだったよ。本当に魅了されたんだ。」

しかし、デイヴィッド・フランクリン(バンドのギタリスト)がザ・タワーでDJ(ディスク・ジョッキー)の仕事をスタートさせたため「みんなで合わせる練習の時間」が十分に取れなくなり、グループは新しいギタリストを熱心に探しはじめました。

そしてついにある人物に出会ったのです。

カリスマ性があって、気絶するほどいい男でした。名前は「デイヴィッド・ダイ・ジェンキンス(David“Dai”Jenkins)」。

ダイ・ジェンキンスは自動車整備士の見習いをしていて、ジョン・ホレルと一緒に働いていました。彼はホレルとピート・ハムのバンドの話を聞いて、最終的にはバンドのリズムギタリストとなりました。

ダイ・ジェンキンスと兄弟であるアルウィンは、よく彼をリハーサルに送って行きました。

次第にピート・ハムとメンバーの出演予約を手伝うようになり、最終的にはグループの非公式マネージャー兼ローディーとなりました。

アルウィンはこう回想する。「ユースクラブのバンや自分の車で器材を全部運んで、それから古いベッドフォードに乗り込む。ドアはいつも外れかけてた。
僕らは最終的に、ガソリンスタンドで激しく言い争うことになるんだ。」

グループの名前はよく変わったよ!【パンサーズ】から始まり、【ブラック・ベルベッツ(The Black Velvets)】、そして【ワイルド・ワンズ(Wild Ones)】。公園やパビリオンといった、あまり重要じゃないステージで演奏する経験もした。
【ワイルド・ワンズ】の時に、確かタレントコンテストでも演奏したはずだよ。

それから、ロックアンドファウンテン・パブ(Rock & Fountain Pub)でも演奏していた。スウォンジーで一番治安の悪いパブのひとつだったよ…」

この頃、ピート・ハムはグループが演奏していたスピーカーなどの「機材」そのものに熱中していました。

なぜなら彼は、電気技師の見習いをしていて、ジャック・ジョージ(Jack George)が経営する、テレビやラジオの修理店で働いていたからです。

同僚のレス・サヴィル(Les Saville)はこう振り返ります。

「僕はカーラジオの取り付けをして、ピート・ハムはテレビを各家庭に設置しにいったりと、たくさんの技術的な仕事をしていたよ。彼は運転できなかったから、色々な所へ仕事に行くのに僕が連れて行ったんだ。

それでとても親しくなったよ。ピート・ハムはウェーブヘアーのモッズ族で、僕は髪にグリースを塗って黒いジャケットを着たロッカーだった。それで近所ではちょっとした評判になったんだ。