バッドフィンガー物語 第1回

バッドフィンガー物語 第1回

バッドフィンガーのリーダーである「ピーター・ウィリアム・ハム(Peter William Ham)」は、1947(昭和22)年4月27日、イギリスの中の「ウェールズ」という国の南部の都市、スウォンジー(Swansea)のタウンヒル(Townhill)という地域で生まれました。

当時、そこはスウォンジー市内でも「とても治安の悪い地域」で、市営団地が広範囲にわたり「丘の上のほう」まで立ち並んでいました。

ピート・ハムの父、ウィリアム・ハム(William Ham)はスウォンジーで育ちました。

14歳で学校を去って、その後様々な種類の肉体労働に従事しました。ほとんどの仕事は、とても忙しい船渠(ドック)でのものでした。

ピートの母、キャサリン・ハム(Catherine Ham)は、最初は「ブリキ工場」で働いていました。

1937(昭和12)年に、ウィリアムとの最初の子供であるバーナード・ジョン(Bernard John)が生まれると、専業主婦となりジョンの後に娘のアイリーン(Irene)が生まれ、その後、ハム家の末っ子としてのちにバッドフィンガーの主要メンバーとなる「ピート・ハム」が誕生したのです。

ピート・ハムはエネルギッシュな若者で、子供時代のトラウマを恥じることなど決してないようでした。

友人のロバート・ビショップ(Robert Bishop)は、彼が溺れかけた時のことを何度も思い出しました。ピート・ハムは強い沿岸底流に飲まれ、ちょうど通りかかった人にどうにか引っ張り出されたことがあったのです。

また別の時には、その場しのぎで作った「いかだ(ボート)」が池の上で壊れてしまい、ロバートの父が勇敢に助け出したこともありました。
ビショップはこう語ります。

「ピート・ハムは僕の子供の頃の最高の親友だった。遊んだり出掛けたり、何でも一緒にやった。だけど、彼はとても気分屋だったこともよく覚えているよ。
冗談を言って笑っていたと思ったら、急に不機嫌になったりするんだ。イライラすると急いで家に帰って部屋に鍵をかけて、そしてラジオをつけるんだ。」

音楽もまた、ピート・ハムにとって『情熱』でした。

父親がビッグバンド(ポピュラー音楽の特にジャズにおけるバンド形式の1つ)のファンで、ピート・ハムもその趣味を受け継いでいましたが、兄のジョンのほうが先により影響を受けていたようです。

兄ジョンが家の前で、「何時間もトランペットの練習」をしていたことを、ハム家の近所に住んでいたたくさんの人々が覚えていました。

ピート・ハム自身も4歳でハーモニカをはじめました。ゴース小学校(Gors Junior School)の運動場で、彼が即興演奏をしはじめると、たくさんの子供たちが集まって来たものでした。

仲の良い友人であるアルウィン・ジャクソン(Alwyne Jackson)はこう振り返ります。

「ピートは学校の成績はまあ良かったし、何でも器用にこなしたよ。でも彼は、いつでも音楽に夢中だった。学校から【まっすぐにレコードを買いに走って】それを聴きにまた【まっすぐに家に走っていた】ことを覚えているよ。

そしてひとたび彼がギターを弾きはじめると、本当に上手だとわかるんだ!
僕はまだ、子供だったけれど、それでもよくわかった。誰にでもピート・ハムのギターが上手いことは、一目みれば、わかったはずだよ。」

ピートが最初に練習したのは、ヘフナー(Hofner)のセミアコースティックギターで、1959年のクリスマスに手に入れたものでした。彼は「楽器の基礎」を、妥協せず献身的に学びはじめすぐに、タウンヒルのユースクラブが彼の安息の場所となりました。

1961(昭和36)年、地元の教師でクラブのリーダーだったブライアン・コッフィ(Brian Coffey)は、すぐにこの若者の情熱と才能に気が付きました。

ピート・ハムはこの頃【木工細工のグループ】に所属しており、ギター製作を自分のメインプロジェクトとすることに決めました。しかし悲しいことに、ギターがほぼ完成に近づいたころ、なんと基部が割れてしまったのです!

コッフィはこう回想します。

「ピートはひどく落ち込んでしまった。そんなに悲しむ彼を見ているのが嫌で、ギターを買うためのお金を少し貸したんだ。それを全額返済してくれたよ。1ヶ月に1ポンドずつね。」

ピート・ハムはこの新しく買ったギター(Fentoweil)に完全に夢中になりました。

近所の人は、彼が何時間も練習していたことを覚えています。そして彼はすぐに、グループ(バンド)として演奏するために友人を収集しました。

デイヴィッド・フランクリン(David Franklin)は、ピートと同じくギターを弾き、ロイ・アンダーソン(Roy Anderson)は、大きなスネアドラムを叩きました。
コッフィの好意で、アンプ(スピーカー)も手に入りました。

アンダーソン「初めてみんなで演奏した日のことを覚えているよ。ピートの家だった。すぐ隣の部屋には彼の両親がいたから、うるさくしないようにとても気を付けなくちゃいけなかった。」

グループは活動場所を【フランクリン家のガレージ】に落ち着け、『シャドウズ(Shadows)=イギリスのバンド』の曲に焦点を当てました。

アンダーソン「今でもまだそのアルバムを持っているよ。みんなで演奏した曲には線が引いてある。僕らは楽器だけで、ベースもいなかった。人前で恥ずかしくない演奏ができると思えるようになるまで、何時間でも練習したよ。

まだ『ビートルズ(The Beatles)』が出てくる前のことで、音楽シーンはまだそんなに巨大ではなかったんだ。でも僕らはすごく注目を集めたよ!僕らがタウンヒル・ユースクラブでリハーサル(練習)をはじめると、みんな立ち止まって聴いていくんだ。」

バンド初のセミプロとしてのギグ(コンサート)は、非常に記憶に残るものとなりましたが、彼らが望んだような意味でのものではありませんでした。

アンダーソン「ある日の午後、ピートがバス停で僕に駆け寄って来て、興奮しながらこう言ったんだ。『今夜、演奏するんだ。ブライアンホール(Bryn Hall)で演奏する予定だったグループが抜けることになって、お兄ちゃんが僕らを代わりに入れてくれたんだ。』